それぞれの人生観
by 北松拓也
 

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遊びをせんとや生まれけむ(梁塵秘抄)
   2019/7/21 (日) 17:10 by 北松拓也 No.20190721171003

 平安中期から鎌倉初期にかけて、今様(いまよう)と呼ばれる歌謡が流行し
ました。今様とは当時の言葉で「当世風」という意味です。今様には短歌形式
のものもありましたが、特に代表的なのは七五調(一二音)を四句連ねたもの
です。この今様をこよなく愛した後白河法皇(後白河上皇、後白河院)は、と
きに声がかれるまで今様を歌ったといいます。そればかりか、白拍子(しらび
ょうし)・傀儡女(くぐつめ)・遊女(あそびめ)などにより歌われていた数
多くの今様を自ら書き留めて、平安時代末期(治承年間、1180年前後)に『梁
塵秘抄』(りょうじんひしょう)という歌謡集に集成しました。

 高校の古文の教科書などでご存じの方も多いと思いますが、次の今様は『梁
塵秘抄』に採録されているものです。

  遊びをせんとや生まれけむ
  戯(たはぶ)れせんとや生まれけん
  遊ぶ子供の声きけば
  我が身さえこそ動(ゆる)がるれ

  【現代語訳】
  遊びをしようとしてこの世に生まれてきたのだろうか。
  戯れごとをしようとしてこの世に生まれてきたのだろうか。
  遊んでいる子供の声を聴いていると、
  私の身体さえも動いてしまう。

 この今様の冒頭にある「遊びをせんとや生まれけむ」という問いに答えるの
は、たいへん難しいことです。そもそも、人は何のために生まれて来るのか、
ほとんどの人はそれが分からないでしょう。一生かけてそれを考えても、分か
る可能性はないかもしれません。それがありのままの人生ならば、それをその
まま受け入れて生きるしかありません。ただ、たとえ分からなくても、無駄と
は思わずにそれを考え、自らに問い続けることには、実存的な意義があると思
います。これは、パスカルの『パンセ』に書かれている「考える葦(あし)」
の精神にも通じることです。

 さて、何のために生まれたかはさておき、人が生きている間は、他者との関
係や周囲の環境などにより、偶然や必然をも含めてそれぞれの役割が生じます。
その役割を自らの義務や使命として受け止めて力を尽くし、充実した日々を送
ることができれば、それはそれで十分によい人生ではないでしょうか。

 余談ながら、『梁塵秘抄』の編著者である後白河法皇は、武士が台頭した時
代に、源頼朝から「日本国第一之大天狗」と評されたほどの巧みな政略で朝廷
の権威を保持しようとしました。そのように政治的な才腕を大いにふるい、5人
の天皇の代にわたって院政を行った一方で、戦乱や疫病や貧困などに苦しむ庶
民に心を寄せ、庶民が歌う今様を愛唱し、あまねく人々の暮らしの安寧を願っ
て蓮華王院(れんげおういん)を建立しました。京都市東山区にある蓮華王院
の本堂である三十三間堂には、千一体の千手観音菩薩像が安置されています。
そこには、分け隔てなく人々を救いたいという後白河法皇の思いが宿っている
と見ることもできるでしょう。そんな多面的な顔を持った後白河法皇は、はた
してどんな声で、そしてどんな気持ちで「遊びをせんとや生まれけむ」を歌っ
ていたのでしょうか。


おもしろきこともなき世をおもしろく(高杉晋作)
   2019/7/18 (木) 18:06 by 北松拓也 No.20190718180634

 幕末の1865年に、高杉晋作は長州藩の倒幕派を率いて、藩内の保守派(俗論
党)に対して反乱を起こし、戦いの末に藩政の主導権を握ると、藩論を倒幕に
向かわせました。そのあと、1866年に江戸幕府が差し向けた第二次長州征討軍
による攻撃を受けましたが、これを退けたことにより幕府の権威は急速に衰え、
その結果、日本の歴史の流れが大きく変わりました。しかし、高杉晋作自身は
明治維新を見届けることなく、1867年5月17日に満27歳の若さで病没しました。

 その高杉晋作が亡くなる数カ月前に病床で詠んだ辞世の歌として知られてい
るのが、「おもしろきこともなき世をおもしろく」という上の句で、これに
「すみなすものは心なりけり」という下の句を福岡の勤王の女流歌人、野村望
東尼(のむらもとに)がつけたと言われています。

 ただし、近年の研究によれば、この歌は高杉晋作の死の前年にすでに詠まれ
ていたという記録があるといい、正しくは「辞世」ではないという説が有力に
なっているようです。また、この歌の上の句についても「おもしろきこともな
き世をおもしろく」のほかに、 「おもしろきこともなき世におもしろく」とい
う説があり、「世を」なのか、それとも「世に」なのか、高杉晋作直筆の歌が
残されていないため、どちらの説が正しいのか分かりません。

 さて、いずれにしても「おもしろきこともなき世」というからには、高杉晋
作の胸の内には根本的にこの世に対する不満や失望、あるいは退屈な思いがあ
ったのだろうと推察されます。そうした世の中に対する認識のもとに、「おも
しろく」と続けて言っているので、「おもしろく変える」、あるいは「おもし
ろく暮らす」のどちらかの意図が込められていると解釈するべきでしょう。こ
うした点を踏まえて、野村望東尼の「すみなすものは心なりけり」という下の
句をもう一度見てみます。これが「おもしろく暮らすのは心の持ちよう次第で
す」という意味だとすると、後者の意図として野村望東尼は受け止めようとし
たと言えそうです。

 しかし、高杉晋作は、吉田松陰の門下生として久坂玄瑞とともに松下村塾の
双璧と言われた俊英であり、またのちに伊藤博文が「動けば雷電の如く発すれ
ば風雨の如し」と評したほど、俊敏でインパクトのある行動力の持ち主でした。
そうであるならば、上記のような内面の問題としてではなく、外に向かって働
きかけて世の中を変革するという気概の表れとして高杉晋作の「おもしろく」
を捉えるのが妥当ではないかと思われます。その意味で、この歌は、上の句に
表明された高杉晋作の奮い立つ思いを、下の句によって野村望東尼がなだめよ
うとしているかのようにも感じられます。

 蛇足ながら、もう一つ付け加えるとするならば、野村望東尼の下の句は、仏
教思想の観点からすれば、正しい考え方と言って差し支えないと思います。


智に働けば角が立つ(夏目漱石)
   2019/7/15 (月) 17:16 by 北松拓也 No.20190715171614

「山路を登りながら、こう考えた。」という文で始まる夏目漱石の小説『草
枕』は、日本文学愛好者の間で広く親しまれていますが、中でも有名なのはこ
れに続く次の文でしょう。

  智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。
  とかくに人の世は住みにくい。

 ここに書かれているのは、きっと漱石自身が社会生活の中で味わった苦い経
験から導き出された本音の言葉だったのだろう思います。しかも、このことは
当時の日本中のどこにおいても、また誰にでも当てはまるばかりでなく、世代
を超えて現代に生きる私たちにも当てはまる悩みではないでしょうか。

 さて、「智に働けば角が立つ」とはどういうことかと言えば、規則に従い杓
子定規な考え方で理知的に仕事をして世渡りをしようとすると、人間関係にお
いて何かと波風が立ち、軋轢(あつれき)が生じるということだろうと思いま
す。そうなると四六時中神経がピリピリとしてストレスが溜まって仕方がない
でしょう。

 次に「情に棹させば流される」というのは、たとえば自分がプロ野球の監督
になったつもりで考えてみるとよく分かります。日頃つらい練習に耐えて懸命
に努力している選手に対して特別に目をかけて公式試合の先発メンバーとして
起用しようとしたとき、その選手に本当に実力があればいいのですが、そうで
なければ人情に動かされて采配を振ることになります。結果は、よほどの幸運
にでも恵まれなければ、チームの成績にはマイナスになる確率が高いことは言
うまでもありません。ですから、実際の試合の場においてプロ野球の監督に求
められるのは、情に安易に流されることのない冷静な観察力、分析力、そして
それに基づく的確な判断力です。これと同様のことが、私たち一般の社会生活
についても言えるだろうと思います。

 さらに「意地を通す」ということは、妥協しないということです。もしもあ
らゆる方面において他者と妥協しなければ、自分で自分の活動領域を狭めるこ
とになり、やがて身動きが取れなくなって、にっちもさっちもいかなくなりま
す。そうなると確かに「窮屈」に違いありません。かといって、妥協ばかりし
ていたら、世間からは無定見とみなされ軽んじられることは避けられず、また
自分自身が求めているもの、目指すもの、理想とするものが分からなくなり、
自分を見失ったままクラゲのようにふわふわと漂うばかりの人生を送ることに
なりかねません。そこの加減が難しいところで、意地を通すにも、あるいは妥
協するにも、それなりに程があるということでしょう。


この世をばわが世とぞ思ふ(藤原道長)
   2019/5/9 (木) 18:51 by 北松拓也 No.20190509185158

 藤原道長といえば『御堂関白記』という日記の筆者として知られていますが、
何といっても後世の日本人に藤原道長の決定的なイメージを与えたのは、「こ
の世をばわが世とぞ思ふ望月(もちづき)の欠けたることもなしと思へば」と
いう和歌でしょう。これは、平安時代中期の朝廷において事実上の最高権力者
として政権を独占していた藤原道長(966-1027) 自身が、1018年に自宅で催した
酒宴の席で詠んだものです。三代にわたる天皇の外戚として国政のすべてを自
らの支配下におさめた絶頂期の藤原道長が、まさに我が世の春を謳歌している
時期の高揚した気分が、この和歌から伝わってきます。

 日本には古くから「出る杭(くい)は打たれる」という警句があります。た
とえおよそ千年ほど前の日本であったとしても、そうした警句自体の有無は別
として、事情はそれほど変わらなかったのではないでしょうか。にもかかわら
ず、自身の心境を「この世をばわが世とぞ思ふ」と衆人の前で詠むことは、相
当に大胆なことだったはずです。宮中や貴族社会で反感を買ったり、増長のそ
しりを受けたり、非難を浴びたりすることをもし恐れるとするならば、そうし
た歌は詠めなかったでしょう。そのようなことを気にしなくてもよいほど、藤
原道長の権力基盤は盤石だったのだろうと想像されます。

 しかし、その酒宴が催された翌年の1019年に藤原道長は出家し、仏教への信
仰を深めて「法成寺」などの寺院の建立に努めます。現生での立身出世を極め
たあとは、来世の安楽、あるいは極楽往生を求めることに心が向かったという
ことでしょうか。昔読んだ新聞の文化欄の記事によれば、当時の最新の研究成
果として晩年の道長が糖尿病にかかっていたらしいことが分かったようです。
比類なき権勢を誇った道長であっても、さすがに「生老病死」という万人共通
の基本的な苦から免れることはできず、晩年は病苦との闘いだったのかもしれ
ません。「この世をばわが世とぞ思ふ」とは言っても、わが身ひとつの健康さ
えままならないのが現実です。だからこそ、たとえほんの束の間のことであっ
ても、この和歌が放つ道長の強烈な自負心の輝きは、時空を超えて人々に深い
印象を与えるのでしょう。


世間虚仮 唯仏是真(聖徳太子)
   2019/5/9 (木) 18:17 by 北松拓也 No.20190509181702

 聖徳太子(厩戸皇子:574-622)の晩年の心境を表した言葉が、「世間虚仮 
唯仏是真」(せけんこけ ゆいぶつぜしん)だと言われています。その意味は、
「世の中(常に変転する迷いの世界)はうそいつわりであり、ただ仏陀だけが
まことである」ということです。この言葉の中に、現実世界に対する聖徳太子
の深い失望を読み取ることができます。

 中国の隋王朝(581-619)が予想外に早く滅びたことにより、聖徳太子は自ら
の外交政策の行き詰まりに直面し、失意のうちに亡くなったという説がありま
す。それが事実だとしても、「世間虚仮 唯仏是真」という聖徳太子の言葉には、
さらに加えて人間社会への不信感が色濃く反映されているのではないかと思え
てなりません。裏切りや陰謀といった政(まつりごと)につきものの、権力を
めぐる熾烈な争いや足の引っ張り合いといったものに強い嫌悪感を聖徳太子は
抱いたのではないかと想像されます。夢や理想を打ち砕かれ、無力感にさいな
まれている気高い賢者の姿がそこに浮かび上がってきます。政治の表舞台から
退いて孤独の闇につつまれた聖徳太子にとってただ一つの救いは、仏陀が説い
た一筋の智慧の光であったのでしょう。

 しかし、政治的には挫折しても聖徳太子が後世の日本人に遺した精神文化は
決して小さなものではありません。中でも「和を以て貴しとなす」という聖徳
太子の理念は現在に至るまで受け継がれ、日本社会の人間関係の基礎になって
います。


さよならだけが人生だ(井伏鱒二)
   2019/5/8 (水) 17:10 by 北松拓也 No.20190508171040

 私が「さよならだけが人生だ」という言葉に初めて出合ったのは、ずいぶん
昔のことです。確か、落合信彦著『狼たちへの伝言』に書かれていたロバート・
ケネディに関する記述の中だったと思いますが、記憶が定かではありません。
その言葉を見て、なんと寂しい人生観だろうと思いました。しかし、その後の
人生において多くの人々の訃報に接した経験を通して、そういう一見虚無的と
も受け取れるような人生の捉え方も今では分かるような気がします。

 この言葉のもとは、中国の唐の時代の漢詩『歓酒』(干武陵)に書かれてい
る「花発多風雨 人生足別離」(花ひらけば風雨多く、人生別離おおし)にあり
ます。五言絶句のこの後半の二行、つまり起承転結のうちの転句と結句を、作
家の井伏鱒二が「花に嵐のたとえもあるぞ。さよならだけが人生だ」と訳した
ことはよく知られています。

 日々の雑事に追われて過ごしていると、とかく日常の出来事がこの先も同じ
ように延々と続いていくかのように思いがちです。しかし、「さよならだけが
人生だ」という言葉は、この世が無常であるという現実を目の前に突き付け、
人生の覚悟のほどを問いかけてきます。


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「それぞれの人生観」 北松拓也
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