則天去私の文学論 『日本篇:俳諧狂句』

長谷部さかな 著

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がっくりと抜初むる歯
   2019/12/2 (月) 08:29 by Sakana No.20191202082954

12月02日

がっくりと抜初むる歯や秋の風  杉風

 老人は歯が抜けたときほどがっくりするこ
とはない。特にがっくりと抜け初めるときは
なおさらがっくりする。
 深川の芭蕉庵などを与えて芭蕉の生活を支
えた後援者といわれる日本橋の魚屋の鯉屋杉
風(1747-1732)は八十六歳の長寿に恵まれた
というが、掲句は、猿蓑((1691)三に載っ
ている。したがって、四十四歳頃、歯が抜け
初めたことになるが、それからの老後生活が
長い。
 芭蕉は五十歳で永眠したので、歯抜け生活
が短くてすんだが、杉風は歯が抜け初めた歳
は人生の旅路半ばである。芭蕉の旅のきびし
かったことは「奥の細道」などで知られてい
るが、杉風のそれを知る人は少ない。


魚の骨
   2019/11/25 (月) 07:49 by Sakana No.20191125074915

11月25日

魚の骨しはぶる迄の老を見て   芭蕉

 老人が魚の骨をしゃぶっている我が身をふりかえ
って、ああ老残の身であることよ、とつぶやいてい
る句。十分に長生きをしていながら、未練たらしく
もっと長く無駄飯を食らって生きようとしているの
は何と浅ましいことよという自嘲もふくまれている。
 老人といっても魚の骨をしゃぶるところをみると、
歯はある。老を見て、よいうからには目も見える。
 猿蓑(1691)五で、芭蕉が凡兆、去来と巻いた歌
仙の付句だから、
 能登の七尾の冬は住うき   兆
 魚の骨しはぶる迄の老を見て 蕉
 待人入し小御門の鎰     來
と続く歌仙の付句。猿蓑(1691)五に載っているか
ら四十七歳頃の作と推定される。芭蕉翁と呼ばれて
いたとはいえ、歯も目も丈夫だったのだろう。



衰ひや
   2019/11/18 (月) 11:40 by Sakana No.20191118114035

11月18日

衰ひや歯に喰あてし海苔の砂    芭蕉

 「衰ひや」という上五は、老人の嘆きの詠嘆である。
ポロリと歯が抜けたわけではない。海苔の砂を歯に喰
いあてだけで、ああ、おれも歳だなあとショックを覚
えるというのだ。ややおおげさな表現だが、海苔の砂
には俳諧の詩がある。
  この句を詠んだ時の芭蕉翁の年齢は四十八歳。元禄
時代の当時では正真正銘の老人だったが、人生百年時
代の現代では老人とはいえない。聖路加病院の日野原
重明は九十八歳で俳諧にめざめた。百四歳で句集を上
梓したが、その句集の中には、
 百三歳上は四歯で下九歯
という句がある。八十歳で二十の歯を残すことを八〇
二○運動というが、日野原重明は百三歳で上四本下九
本、合計十三本の歯が残っていたというからご立派で
ある。ただし、リアリズムの句としては面白いが、季
語はなく、俳諧の詩とはいえない。海苔は春の季語。



第十四類 恐怖
   2019/11/11 (月) 07:33 by Sakana No.20191111073329

第十四類 恐怖

 文学的内容の基本成分のうち感覚的要素を詠んだ俳諧
狂句は、触覚、温度、味覚、嗅覚、聴覚、視覚 (耀、
色、形、運動)のそれぞれについて十句づつ鑑賞した。
 次は情緒的要素として、怒、恐怖、怒、同感、自己の
情(積極的なegoと消極的なego)、両生的本能(恋)、
その他(嫉妬、笑、涙など)の例句を拾い上げてみるこ
とにする。
 俳諧狂句の場合は、ひねりや省略があるので、情緒的
要素をストレートに詠み込んだ例は比較的少ない。

衰ひや歯に喰あてし海苔の砂           芭蕉
魚の骨しはぶる迄の老を見て           芭蕉
がっくりと抜初むる歯や秋の風     杉風
秋立つや何におどろく陰陽師      蕪村
宿かせと刀投げ出す雪吹(ふぶき)哉  蕪村
これがまあ死所かよ雪五尺             一茶
鵜の首の蛇とも見なし怖ろしき     子規
川を見るバナゝの皮は手より落ち       虚子
仏ただにこやかに居る恐ろしさ     西島○丸
お父さんうちにお金がありますか    木村半文銭

 夏目漱石『文学論』では『マクベス』や『ハムレット』
からの文例が紹介されている。

 I have almost forgot the taste of feara;
  The time has been, my senses would have cool'd
  To hear a night-shriek; and my fell of hair
  Would at a dismal treatise rouse and stir.
  As life were in't; I have supp'd full with horrors.'
    --Macbeth. Act V. sc. v.ii. 9-13

  俺は恐怖の味をほとんど忘れた。/
  以前は夜半に叫び声でも聞こうものなら、/
  五感が凍え、不気味な話を聞くと、/
  髪の毛が生きたもののように逆立ち、震えたものだ。/
  今では恐怖にすっかり食傷してしまった。
  ーー『マクベス』第五幕第五場、九ー一三行

  こはMacbethが滅亡を黙然にひかへ、城中にて対談の際、
 女の叫声を耳にしていへる科白なり。この第一句は恐怖の
 徴候を記載したるFにして、第二句はfを含む主観的分子
 なり。序ながら、Macbeth全編は恐怖なる情緒を骨子として
 組み立てられしものと見て可なり、


古寺に
   2019/11/4 (月) 08:32 by Sakana No.20191104083243

11月04日

古寺に斧こだまする寒さかな ?(聴覚+温度覚)

  斧を打つ音がこだまする寒さ、それに古寺
のただずまいがよくひびきあって共通感覚を
刺激する。
 松尾芭蕉の国際的に有名な句といえば、古
池や蛙飛び込む水の音、だが、一見してそれ
に匹敵する名句のようの思われるが、作者は
俳人ではなく、コンピュータだという。つい
にAI革命は俳句の世界に進出して、芭蕉の
ような名人になったのか。
 チェス、将棋、囲碁、何をやってもコンピ
ュータが人間を圧倒する時代になった。まご
まごしてはいられないが、まごまごしても今
やコンピュータに太刀打ちできない。
 どうすればよいか。それにはまず、スマホ
を買うことだよ、と孫がいう。


蝶々のもの食ふ音
   2019/10/28 (月) 06:26 by Sakana No.20191028062620

10月28日

蝶々のもの食ふ音の静かさよ 虚子 (視覚・形+聴覚+味覚)

 ブルータスよ汝もか、蝶々よ汝ももの食ふか。
味覚と視覚の句かと思うと、主眼は聴覚の句で
ある。聴覚といっても、蝶々のもの食ふ音であ
る。私は聞いたことがないが、俳人の耳には聞
こえるらしい。
 ヒトの可聴域は個人差があり、下は20Hz程度
から、上は20,000Hz程度までの鼓膜振動を音と
して感じることができるという。しかし、高齢
者は加齢によって可聴域が縮小し、耳が遠くな
る。私に蝶々のもの食ふ音が聞こえないのは加
齢のせいか、生まれつきの音感のせいか。
 そういえば、「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」
という芭蕉の句がある。静かさと閑かさではち
がうかもしれないが、いずれにせよ、俳人は可
聴域を超えた周波数の音(超音波)を聞く。
         (2018年10月08日記再掲)


雪ふるよ
   2019/10/21 (月) 08:24 by Sakana No.20191021082446

10月21日

雪ふるよ障子の穴を見てあれば 子規(温度覚+視覚・形+運動

  障子の穴から外を眺め、雪ふるよ、と喜ん
でいる視覚・運動の句である。障子を開けて
視界を広げたらどうかなどと横から言うのば
余計なお世話というものだ。
 障子の穴に焦点を合わせて外を見ると、眼
球の角膜と水晶体がカメラのレンズのように
光を感じてとらえ、網膜に焦点を合わせるこ
とで、雪がふっているのが見える。水晶体の
周りには小さな筋肉がついていて、水晶体の
厚みを変えることで焦点調節を行う。
 病牀六尺の人にとっては障子の穴から雪が
降るのを見ることは大事件だ。障子と生死は
どちらも「ショウジ」と発音する。障子は生
死に通じるのだ。死にかけている病牀六尺の
人にとって障子の穴は生死の境目である。 
          (2019.08.05記再掲)


春雨や家鴨よちよち門あるき(触覚+嗅覚+視覚・運動)  
   2019/10/7 (月) 07:18 by Sakana No.20191007071804

10月07日

春雨や家鴨よちよち門あるき  一茶

  アヒルがよちよち門あるきをしているーー
これも視覚・運動の句だ。アヒルでなくても
幼児もよちよち歩く。あんよは上手、とはげ
まし、ここまでおいで、というと、あっけな
く転んで泣き出す。転ぶはお下手(へた)ーー
それもご愛敬で、微笑を誘う。
 時は流れて、幼児が老人になると、またよ
ちよち門あるきをはじめるが、こんどは誰も
あんよは上手、とはげましてはくれない。よ
くやったと自分で自分をはげますしかない。
 ふりかえってみると、長い間、直立二足歩
行でしっかり歩いてきたような気がするが、
はたから見れば、よちよち歩きのようなもの
だったかもしれない。よちよち歩きがおまえ
の本来の姿であることを知れ。
         (2019.07.22記再掲)



紅梅の落花燃らむ馬の糞 蕪村(嗅覚+視覚・色)
   2019/9/30 (月) 07:54 by Sakana No.20190930075447

9月30日

紅梅の落花燃らむ馬の糞 蕪村(嗅覚+視覚・色)
 
 紅梅の花が赤く散って、燃えているように
見える。それだけなら視覚ー耀きの句だが、
郷愁の詩人はそれを馬の糞と取り合わせた。
 馬の糞には視覚の耀きはない。その代わり、
異臭が漂ってくる。嗅覚は視覚の耀きをひき
たてるか、それとも減殺するか。
 やはり減殺されると私は思うが、作者は馬
の糞に郷愁を感じたのだろう。むしろ相乗
効果で、なまなましい実体感が表現されてい
ると思ったのかもしれない。
 「燃らむ」は「燃ゆらむ」で、「燃えてい
るのだろうか」というような意味だと思うが、
視力が減退したせいか、「然らむ」と誤読し
てしまった。「紅梅の落花然らむ」だとすれ
ば、紅梅が馬の糞と混じり合ってしまう。
          (2018.11.19記再掲)



時鳥平安城を筋違に 蕪村(聴覚+視覚・運動)
   2019/9/23 (月) 07:39 by Sakana No.20190923073912

9月23日

時鳥平安城を筋違に 蕪村(聴覚+視覚・運動)

 平安城という城はどこにあるか。鹿児島の
平山城の異名という説もあるが、蕪村がわざ
わざ鹿児島まで歩いていったとは伝えられて
いない。
 やはり平安京の異名だろうと思う。平安京
は唐の都長安を模し、南北38町(5.31km)、
東西32町(4.57km)に及ぶ。北部中央に大内
裏(だいだいり)をおき,朱雀(すざく)大路を
中心に左京・右京に分かれ各京は9条4坊に
分けられた。
 碁盤の目のような区割りだ。そこをすじか
いにホトトギス飛んでいくという視覚・運動
の句である。鳴くよ(794)ウグイス平安京の年
に桓武天皇が遷都し、平安京を都と定めたが、
この句ですじかいに飛んだのはホトトギス。
         (2019年7月08日記再掲)


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則天去私の文学論 『日本篇:俳諧狂句』 長谷部さかな 著
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