暮らしの中の「十善戒」

 奈良県にある唐招提寺は、日本に最初に正式な仏教の戒律を伝えたことで知られる鑑真和上が建立したお寺です。その唐招提寺に籍を置く僧侶の方が、何年か前にNHKのEテレの番組「こころの時代」に出演し、次のような内容のことを語っておられました。「仏教の五戒(ごかい)は、国や宗教の違いを越えて世界のどこへ行っても誰もが正しいものと共通して認める普遍的なものです」と。深い確信に満ちた表情で力強くそう言っておられたのが印象的でした。
 ちなみに、「五戒」とは在家が守るべき戒で、不殺生(ふせっしょう)・不偸盗(ふちゅうとう)・不邪婬(ふじゃいん)・不妄語(ふもうご)・不飲酒(ふおんじゅ)の五項目から成ります。
 さて、ここで取り上げる「十善戒(じゅうぜんかい)」は、そうした「五戒」の拡大版とも言えますが、一つ違うのは、「五戒」にある「不飲酒」が「十善戒」にはないことです。これはなぜかと言えば、もともと「五戒」において重要なのは「不飲酒」以外の四つの戒だからです。その4つの戒を守るのに必要な判断力を、酒に酔っ払って失ってはいけないので、「不飲酒」が後から付け加えられ、「五戒」になったということのようです。したがって、正しい判断力を失うほどの飲酒をしなければ許されるものと考えられます。
 それでは「十善戒」について中身を見ていきましょう。「十善」の「善」とは、楽(らく)の果(か)をもたらす行為のことです。この「十善戒」を守るならば、人間のもつ三種の根本的な煩悩(ぼんのう)である「貪瞋痴(とんじんち)」、すなわち、貪欲(どんよく)・瞋恚(しんい=怒り)・愚痴(ぐち=物事の正しい道理を知らないこと)の「三毒」から離れ、身も心も言葉も清らかで晴れやかになることでしょう。十の項目を一つ一つ具体的に挙げれば、下記の通りです。これらは、どなたでも日々の暮らしの中ですぐに実践することができる身近なものです。

1.不殺生(ふせっしょう)
  ── 生きとし生けるもののいのち≠大切にすること。

2.不偸盗(ふちゅうとう)
  ── 与えられていない他人の財物を取ることのないこと。

3.不邪淫(ふじゃいん)
  ── 男女の間において不適切な関係を持たないこと。

4.不妄語(ふもうご)
  ── 嘘いつわりのことばを言わないこと。

5.不綺語(ふきご)
  ── 真実に反して巧みに飾り立てたことばを言わないこと。

6.不悪口(ふあっく)
  ── あしざまに言ったり、ののしったりして人を傷つける
     ことのないこと。

7.不両舌(ふりょうぜつ)
  ── 両方の人に対してちがったことを言って仲違いをはか
     ることのないこと。

8.不慳貪(ふけんどん)
  ── 物惜しみしたり、無闇にむさぼったりしないこと。

9.不瞋恚(ふしんに)
  ── 自分の心に反するものに対して、怒り・憎しみ・怨み
     といった感情を持たないこと。

10.不邪見(ふじゃけん)
  ── 因果の道理を否定する誤った考えを持たないこと。

 余談ですが、中国の唐の時代の詩人として有名な白楽天(白居易)は、若い頃に禅道を求めて道林和尚を訪ね、「仏教の根本の教えとは何ですか」と質問しました。すると、道林和尚は即座に「諸悪莫作、衆善奉行(しょあくまくさ、しゅぜんぶぎょう)」、つまり「悪いことをするな、善いことをしなさい」と答えました。この答えがあまりにも平凡だったので、白楽天はあきれて「そんなことなら三歳の童子でも知っていることではありませんか」と言って反発しました。すると、道林和尚は平然と「たとえ三歳の童子でも知っていても、八十歳の老人でさえ行うことは難しい」と答えたといいます。
 道元禅師の著書『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』にも書かれているこの逸話は、しかしながら史実ではないようです。ただし、「諸悪莫作、衆善奉行」という言葉そのものは『七仏通戒偈(しちぶつつうかいげ)』という戒めの短い詩に書かれており、さらにこの後に続く言葉があります。それは「自浄其意、是諸仏教(じじょうごい、ぜしょぶっきょう)」というものです。前の言葉と合わせると全体の意味は、「もろもろの悪を作(な)すこと莫(な)く、もろもろの善を行い、自ら其(そ)の意(こころ)を浄(きよ)める、是(これ)がもろもろの仏の教えなり」となります。これでお分かりのように、上記の「十善戒」を守れば、取りも直さずこの言葉のはじめにある「諸悪莫作」を実践していることになるのです。一方、「衆善奉行」の様々な実践のなかには、お金がなくても誰もができる「無財の七施」があります。
(解説/北松拓也)

[ホームページへ]