J・ジョイスの『ユリシーズ』を楽しみながら読む

長谷部さかな 著

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PAGE 1 (1〜10)


犬と人との会話
   2019/10/20 (日) 09:46 by Sakana No.20191020094626

犬と人との会話

「おお、ジョウ、俺が云う。元気かよう? 見たかあの
煙突掃除が俺の目ん玉をブラシで危うくえぐるとろだっ
たぜ、と俺が云う。それをうけて、煤とは縁起がいいや
な、ジョウが云う」
「会話がかみあっていませんね。俺が云うは、says Iで、
asks Iではない。独り言のようでもあります」
「煤とは縁起がいいやな、というジョーの発言は、見た
か(Did you see…?)の答になっていない」
「煙突掃除が俺の目ん玉ブラシで危うくえぐるとろだっ
たという場面を見たとも、見ていないとも言っていません。
その代わり、煤とは縁起がいいやな、ととぼける。鈴なら
ともかく、煤が縁起がいいなどと聞いたことがありませ
ん」
「煤のあるところに幸運あり、という諺がアイルランド
にはあるらしい」

-- Lo, Joe, says I. How are you blowing? Did you see that bloody chimneysweep near shove my eye out with his brush? -- Soot's luck, says Joe. Who's the old ballocks you were talking to?-- Old Troy, says I, was in the force. I'm on two minds not to give that fellow in charge for obstructing the thoroughfare with his brooms and ladders.-- What are you doing round those parts? says Joe.-- Devil a much, says I. There is a bloody big foxy thief beyond by the garrison church at the corner of Chicken Lane - old Troy was just giving me a wrinkle about him - lifted any God's quantity of tea and sugar to pay three bob a week said he had a farm in the county Down off a hop of my thumb by the name of Moses Herzog over there near Heytesbury street.-- Circumcised! says Joe.-- Ay, says I. A bit off the top. An old plumber named Geraghty. I'm hanging on to his taw now for the past fortnight and I can't get a penny out of him.-- That the lay you're on now? says Joe.-- Ay, says I . How are the mighty fallen! Collector of bad and doubtful debts. But that's the most notorious bloody robber you'd meet in a day's walk and the face on him all pockmarks would hold a shower of rain. Tell him, says he, I dare him, says he, and I doubledare him to send you round here again or if he does, says he, I'll have him summonsed up before the court, so will I, for trading without a licence. And he after stuffing himself till he's fit to burst! Jesus, I had to laugh at the little jewy getting his shirt out. He drink me my teas. He eat me my sugars. Because he no pay me my moneys?
ーーおお、ジョウ、俺が云う。元気かよう? 見たかあの
煙突掃除が俺の目ん玉をブラシで危うくえぐるとろだったぜ。
ーー煤とは縁起がいいやな、ジョウが云う。いま話してた老
いぼれ睾丸は誰だ?
ーートロイ爺公よ、俺は云う。警察にいた。どうにもおさま
らないぜさっきのやつが箒と梯で通行妨害しやがったと訴え
てやりてえ。
ーーこんなところで何してる? ジョウが云う。
ーー何してるなんてもんじゃねえ、俺は云う。べらぼうな大
狐泥棒がいてよチキン小路の角のギャリソン教会のとこだー
ーいまもトロイ爺公からそいつのことをちと聞いたんだがー
ーそりゃもうがっぽり紅茶と砂糖をせしめたんだな毎週三ポ
ンド払うダウン郡に農場を持ってるなんてぬかしてあそこの
ヘイツベリー通りのすぐんとこのモーゼズ・ハーゾッグって
名のちび公から。
ーー割礼ユダ公か? ジョウは云う。
ーーああ、俺は云う。ちょいといかれてやがるんだ。ガーラ
ティって老いぼれ鉛管工よ。ただじゃすまねえぞと俺は二週
間も嚇しをかけてるってのに一ペニーも取れやしねえ。
ーーあそこで食い繋いでるんだな? ジョウは云う。
ーーああ、俺は云う。強者は倒れたりだぜ! 取れそうにも
ねえ貸倒れの取立屋よ。しかしあれほど名うての物盗りって
のも丸一日ほっつき歩いたって出くわすもんじゃねえな顔は
痘痕だらけで一雨降っても溜まるだろうって。野郎に云っと
け、だとよ。いいか野郎に云っとけ、だとよ、いいか、貴様
をまたここへよこすんならよこしてみろ、だとよ、そしたら
俺様は野郎を法廷にひきずり出してやる。そうとも、鑑札も
ねえ分際でってな。そんでがぼがぼ詰め込んだばかしで、は
ちきれそうになってたぜ。ふん、あのちびユダが癇癪起こし
たのには思わず吹き出しちまったね。あいつ!わしの茶を飲
みやがる。あいつ! わしの砂糖を食いやがる。一文も払わ
んならわしのものじゃろが?



犬の語り
   2019/10/13 (日) 08:13 by Sakana No.20191013081338

犬の語り

「第十二章 キュクロープス を柳瀬尚紀訳で読んでみよ
う。これが犬の語りだと柳瀬尚紀訳は断定しているが、ど
う思うかね」
「語り手はD. M. P(ダブリン首都警察)のトロイ爺と立
ち話をしているというのですから、ダブリン主と警察のト
ロイ爺が人間だとすると、語り手も人間のはずです」
「トロイ爺が警察犬だとしたらどうだ?」
「その場合は、語り手も犬かもしれません。でも、ストー
ニー・バターをひょろひょろやってくるジョー・ハインズ
はあきらかに人間です。語り手はジョーと親しく会話をし
ています」
「語り手の<おれ>は警察犬のトロイ爺とは犬語で立ち話
しをし、続いて、人間のジョー・ハインズとは会話のまね
ごとをしているだけだというのが柳瀬尚紀の解釈だ」
「どうしてそんなまぎらわしい書き方をするのですか」
「それは『ユリシーズ』が文学だからだろう」

I was just passing the time of day with old Troy of the 
D. M. P at the corner of Arthur hill there and be damned 
but a bloody sweep came along and he near drove his gear 
into my eye. I turned around to let him have the weight of
my tongue when who should I see dodging along Stony 
Batter but only Joe Hynes. (Episode 12 Cyclops)

おれがD. M. P(ダブリン首都警察)のトロイ爺とついそ
このアーバ―・ヒルの角で立ち話をしてると、畜生め、煙
突掃除屋の野郎がやって来て、もうちょいのところでおれ
の目玉へ糞ったれの掃除用具を突っ込みそうにした。ぎゃ
あすか、どなってやろうと思って振り向くてえと、ストー
ニー・バターをひょろひょろやって来るのは、何とジョー・
ハインズじゃないか。
(第十二章 キュクロープス 柳瀬尚紀訳)




人間か犬か
   2019/10/6 (日) 07:33 by Sakana No.20191006073327

人間か犬か

「第十二挿話 キュクロープス は、違う語り手による二
種類の語りを交互に組み合わせて出来ていると丸谷才一は
いう。それに対して、第一の語り手は、I(=おれ)と称す
る犬であり、その犬の語りのところどころに<パロディ断
章>を挟み込んでいると柳瀬尚紀はいう」
「丸谷才一は第一の語り手が犬だとは思っていなかったの
ですね」
「丸谷才一だけではない。柳瀬尚紀が<俺>犬説をはじめ
て公表したのは一九九五年十一月三日付の読売新聞だが、
外国からのもっとも早い反応はダブリンから届いた。ジェ
ームズ・ジョイスの又甥に当たるK・M氏からだった。
<私の貧しい想像力では<俺>を犬として読むことはでき
そうもありません。もし<俺>が犬であるなら、市民の飼
っているかなり獰猛な犬、ガリ−オウエンのテリトリーへ、
喧嘩にもならず入り込めるものでしょうか?>」
「柳瀬尚紀の<俺>犬説とK・M氏の反論とどちらが正し
いでしょう」
「それを読み解き、判定を下すのがわれわれ読者の課題だ」



第十二挿話 キュクロープスの梗概
   2019/9/29 (日) 08:27 by Sakana No.20190929082715

第十二挿話 キュクロープスの梗概

「第十二挿話 キュクロープス の梗概は、第十四挿話
太陽神の牛 の例にならって、丸谷才一訳の梗概を参考
にしよう」
「酒場の場面ですね。ラグビー・ワールドカップでアイ
ルランドが日本に負けたことが酒場の話題になりそうで
すね」
「『ユリシーズ』の一日が2019年9月28日なら、ラグ
ビーが話題になるかもしれないが、1904年(明治三十七
年)6月6日、ダブリンの酒場では競馬が話題の一つに
はなった」
「百年以上前の酒場なんですね」
「この挿話は違う語り手による二種類の語りを交互に組
み合わせて出来ている。主筋を語るのは「おれ」と名乗
る取立て屋。もう一人は、「おれ」の話に触発されてその
パロディを作り、独白のように語る謎の人物、となって
います」
「それで主筋を語る「おれ」という取り立て屋が、実は
犬ではないかという奇説を展開しているのが、柳瀬尚紀
『ジェームズ・ジョイスの謎を解く』(岩波新書)だ。は
たして取立て屋(collector)が犬なのかどうか。きみの
見解はどうだ?」
「ちょっと待ってください。私は丸谷才一訳と柳瀬尚紀
訳の両訳に目を通しましたが、どうもよくわかりません。
犬が人間のようにしゃべるのを聞いたことがないですから」
「夏目漱石の『吾輩は猫である』で、語り手の吾輩が猫で
あることは知っているだろう」
「漱石の猫は自分のことを吾輩と呼び、猫であることを認
めていますが、ジョイスの取立て屋「おれ」は自分が犬だ
と認めていません」

場所 酒場
時刻 午後五時
 ブルームはカニンガムとパワーズに会うため、キアナ
ンの酒場へ行く。そこでは男たちが「市民」という綽名
の名物男を囲んで酒を飲んでいる。彼らのなかの一人は、
こげついた貸金の取立て屋。ブルームは彼らに加わるが、
酒は飲まない。ブルームは市民の機嫌をそこねて、から
まれる。これは三つの原因が重なった結果で、第一に、
ブルームがユダヤ人であり、市民は大のユダヤ人嫌いで
あるため、次に、市民が口にするナショナリスティック
な議論にブルームが同調せず、おだやかにではあるが反
論を述べたせい。第三に、ブルームがゴールドカップ・
レースで大穴を当てたと市民は誤解していて、それなの
に、(当然のことだが)彼がみんなに酒をおごらないから。
市民は立ち去るブルームを追いかけてビスケットの空缶
を投げつけるが、彼はあやうく助かり、市民に向って啖
呵を切る。
 この挿話は違う語り手による二種類の語りを交互に組
み合わせて出来ている。主筋を語るのは「おれ」と名乗
る取立て屋。もう一人は、「おれ」の話に触発されてその
パロディを作り、独白のように語る謎の人物。
器官ーー筋肉 学芸ー政治 象徴ーーフィニア会 技術
ーー巨大化
神話的対応ーー市民が「オデュセイア」第九歌のキュク
ロプス(一つ目の巨人)に対応する。


丸谷才一の文体
   2019/9/22 (日) 07:31 by Sakana No.20190922073130

丸谷才一の文体

「第十四挿話 太陽神の牛で、英語と日本語の文体
模倣史をざっと概観した。何か言いたいことはある
か」
「文は人なり(Style is the man.)で、文体が人
柄をあらわすことはよくわかりました」
「では、自分の文体を発見し、しっかりみがいて
くれ」
「それは心がけますが、一つ疑問を抱いたのは翻訳
者の丸谷才一が紹介した日本語の文体が、もっぱら
文語体だということです」
「それは丸谷才一の好みが文語体だから仕方がない」
「私が小学校の国語で習ったのは口語体です」
「丸谷才一が紹介した菊池寛の文体などは、口語体
に近いだろう」
「<かうしてゐる間に>などのように、歴史的仮名遣
いの文語体が採用されています。かえすがえすも残念
なのは柳瀬尚紀氏が誰の文体を選んだかを公表する前
に亡くなられたことです」
「柳瀬尚紀の好みも文語体だ。日本人は口語体で満足
せず、文語体を遣いこなすようにならなければならな
い」
「今さら、無理ですよ」


石川淳の文体
   2019/9/15 (日) 08:59 by Sakana No.20190915085947

石川淳の文体

「原文はイギリスの美術評論家ジョン・ラスキン
(1819-1900)の文体を模す。翻訳は石川淳の文体)」
「石川淳は夷斎(いさい)と号し、江戸文学とフラン
ス文学に造詣の深い文人。しかも、無頼派の仲間だ
そうですが、どこか近寄りがたいところがあって、
私はあまり親しんでいません」
「夷斎先生は教養のない人間などは相手にしない」
「日本に教養のある人間なんかいるのでしょうか」
「丸谷才一や大岡信は夷斎先生と歌仙の座に加わっ
て、俳諧を楽しんだと仄聞している」
「先生方は俗人の楽しみとは次元が違う境地で遊ん
でおられたようです」

Mark this farther and remember. The end comes
suddenly. Enter that antechamber of birth where
the studious are assembled. And note their facts.
Nothing, as it seems, there of rash or violent. 
Quietude of custody, rather. Befitting their station 
in that house, the vigilant watch of shepherds and
of angels about a crib in Bethlehem of Juda long ago.
But as before the lighting the serried stormclouds, 
heavy with preponderant excess of moisture, in swollen 
masses turgidly distended, compass earh and sky in
one vast chamber, impending above parched field and 
drowsy oxen and blighted growth of shrub and verdure 
till in an instant a flash rives their centres and with the 
reverberation of the thunder the cloudburst pours in
torrent, so and not otherwise was the transformation, 
violent and instantaneous, upon the utterance of the word.

 さらにこのことに気をくばれ。忘れるな。終
局は不意討ちのかたちでやつて来るね。学生た
ちがたむろする産院控室にはひり、連中の顔を
検分しろ。無分別や激情はかけらも無いやうに
見える。むしろこの建物での彼らの職分にふさ
はしい、守護者気取りのおだやかさがあるよ。
すなはち、遠いむかしユダヤのベツレヘムで飼
葉桶のまはりに寄つて来た羊飼や天使たちの、
用心ぶかい寝ずの番めいたけはひに似てゐるだ
ろう。しかし電光のひらめく直前、密集した雨
雲が湿気をふくみすぎて重たくなり、膨張した
塊となつて」ひろがり、空と大地とを巨大なま
どろみのなかに封じこめ、灼ける原野とねむさ
うな牛と枯れた灌木とみどりの草むらのうへに
低く垂れこめたとき、一瞬、こいつらのまんな
かを閃光がつきやぶつて、雷鳴のとどろきとと
もに大雨がどつと降りそそぐ、ちやうどあれと
そつくりに、その語が発せられたとたん激烈な
変化がおこつたね。  (丸谷才一訳)



谷崎潤一郎の文体
   2019/9/8 (日) 10:09 by Sakana No.20190908100955

谷崎潤一郎の文体

「原文はイギリスの評論家、小説家、ウォルター・
ペイター(1839-94)の文体を模す。翻訳は谷崎潤
一郎の文体」
「ウォルター・ペイターの『享楽主義者マリウス』
は2世紀半ばのローマを背景にして青年マリウス
の内的発展を描いた小説です。その影響を受けたか
もしれない谷崎潤一郎は、耽美主義の作家として知
られていますが、文体模倣が成功しているかどうか
はこの文例だけではなんとも判定できかねます」
「本人の不健全さ、すなはち人生の酷薄な面に対す
る好みをさらけ出してしまふーーという描写なんか
は耽美派の文体といえるかもしれない」

The stranger still regarded on the face before him
a slow recession of that false calm there, imposed, 
as it seemed, by habit or some studied trick, flair,
for the cruder things of life. A scene disengages 
itself in the observer’s memory, evoked, it would
seem, by a word of so natural a homeliness as if
those days were really present there(as some
thought) with their immediate pleasures.

 外国人は目の前にゐる人の顔からわざとらしい
冷静さがゆつくりと消えて行くのを視詰めてゐた。
その偽りの冷静さは習慣に依るものなのか芝居が
かりなのか言葉づかひにまで及んでゐたが、その
言葉が辛辣すぎるために口にする本人の不健全さ、
すなはち人生の酷薄な面に対する好みをさらけ出
してしまふのである。観察してゐる外国人の心の
なかにある光景が浮びあがつて来た。(丸谷才一訳)


永井荷風の文体
   2019/9/1 (日) 07:16 by Sakana No.20190901071623

永井荷風の文体

「原文はイギリスのカトリック枢機卿、神学
者、著述家、ジョン・ヘンリー・ニューマン
(1801-90)の文体を模し、訳文は永井荷風
を模している」
「荷風の文体と枢機卿、神学者の文体とでは
ミスマッチではないでしょうか」
「ミスマッチではないと翻訳者の丸谷才一は
考えたのだろう」
「荷風の文体も『断腸亭日乗』とはちがうよ
うです」
「『断腸亭日乗』は日記だ。それより初期の
小説『地獄の花』の文体を模しているのでは
ないか」

 There are sins or (let us call them as the world
call them) evil memories which are hidden away
by man in the darkest places of the heart but they
abide there and wait. He may suffer their memory 
to grow dim, let them be as though they had not been 
and all peruade himself that they were not or at least 
were otherwise.. Yet a chance word will call them forth
suddenly and they will rise up to confront him in the
most various circumstances, a vision or a dream, or
while timbrel and harp soothe his senses or amid the 
cool tranquility of the evening or at the feast, at midnight,
when he is now filled with wine. Not to insult over him 
will the vision come as ever one that lies under her wrath, 
not for vengeance to cut him off from the living but shrouded 
in the piteous vesture of the past, silent, remote, reproachful.

 罪と云ふもの或は世間の呼び方にならつて
これを云へば悪の記憶と云ふものがある。そ
れは心の最も暗いあたりに秘め置かれては居
るもののそこにぢつと待ち構へてゐる。人は
その記憶の薄れゆくに任せ、あたかも存在し
て居なかつたやうに、或は少なくとも別のも
のであったかのやうに思ひ込むやも知れぬ。
しかしその記憶は他愛のない一語がきつかけ
で不意に呼び出される。幻想や夢の中で、ま
たタンバリンやハーブの響で感覚が愉悦にひ
たつて居る最中、或は涼しきこと銀のごとき
夕暮れの静寂の中、或は夜半静寂一樽の酒に
歓を尽すのときなど実に多様な祈りに顕(た)
ち現れ向つて来る。この幻は、その怒りの前
に屈服した者に対するやうに侮辱するために
でも、また生ける者たちと別れしめて復讐す
るためにでもなくて、ただ過去と云ふを哀れ
屍衣をばんまとひ音もなくよそよそしく咎め
るがごとく訪れて来る。丸谷才一訳)



菊池寛の文体
   2019/8/25 (日) 07:45 by Sakana No.20190825074548

菊池寛の文体

「チャールズ・ディケンズ『ディヴィッド・コパー
フィールド』の文体を模す。訳文は菊池寛『真珠夫
人』の文体」
「『ディヴィッド・コパーフィールド』は世界の十代
文学に数えられるほどの名作、それに対して『真珠夫
人』は通俗小説と言われています。ミソとクソを一緒
にしているのではないでしょうか」
「そんなことをいうと、芥川賞と直木賞を設け、文学
の新興に貢献した菊池寛先生に失礼になる。引用文を
比較しても原文と訳文との間にはミソとクソほどの差
異は認められない」
「『真珠夫人』は大正時代の大ベストセラーだそうで
すが、令和の時代に熱心な読者がいるとは思えません」
「それを言うなら、『ディヴィッド・コパーフィールド』
だって似たようなものだ」

 Meanwhile the skill and patience of the physician
had brought a happy accouchment. It had been a
weary weary while both for patient and doctor. All
that surgical skill could do was done and the brave
woman had manfully helped. She had. She had fought
the good fight and now she was very very happy.
Those who have passed on, who have gone before,
Are happy too as they gaze down and smile upon the 
touching scene. Reverently look at her as she reclines 
there with the motherlight in her eyes, that longing 
hunger for baby fingers (a pretty sight it is to see), in
the first bloom of her new motherhood, breathing a 
silent prayer of thanksgiving to One above, the
Universal Husband,

 かうしてゐる間に、医師の忍耐と熟練のおかげ
で目出度く分娩が訪れた。産婦にとつても医師に
とつても、待ちあぐね待ちあぐねた末の出来事で
ある。外科技術で出来ることはすべて為され、勇
敢なる女性は雄々しく協力したのだ。然り、彼女
は協力し続けた。彼女は堂々と戦ひ続けたあげく、
今や非常に幸福だった。世を去った人人も先立つ
た人人も、この心を打つ情景を見おろして微少を
浮かべつヽ、幸福に浸つてゐた。敬意を籠めて
見守り給へ。眼に母性の光を湛へて横たはり、全
人類の夫(ハズバンド)である天上の神に感謝の
黙祷をつぶやきながら、新しい母性の花が今はじ
めて開くように嬰児の指を探し求めてゐる(見る
眼にも美しい)その様を。   (丸谷才一訳)
 


内村鑑三の文体
   2019/8/18 (日) 09:19 by Sakana No.20190818091949

内村鑑三の文体

「イギリスの科学者T・H・ハクスリー(一八
二五ー九五)の文体を模す。翻訳は内村鑑三の
文体」
「原文は科学者、訳文は宗教家の文体、という
ことは科学と宗教との合一をめざした文体とい
うことになります」
「引用文の語り手が科学と宗教との合一が不可
能であると考えているのに対して、S・ディー
ダラス君は、妖しげな<先験論>(perverted 
Transcendentalism)をふりまわして、合一が
可能であるかのような屁理屈をこねている」
「内村鑑三の著書には『余は如何にして基督信
徒になりし乎』があり、キリスト教の信者のよ
うですが、『代表的日本人』を読むと、武士道を
鼓吹しているように見えます。S・ディーダラ
ス君の思想と似たようなものではないでしょうか」
「そんなことを言うと、内村鑑三の信者からお叱
りを受けることになるぞ」

 It had better be stated here and now at the outset that
the perverted transcendentalism to which Mr. S. Dedalus’
(Div. Scep.) contentions would appear to prove him pretty 
badly addicted runs directly counter to accepted scientific
methods. Science, it cannot be too often repeated, deals
with tangible phenomens. The man of science like the
man in the street has to face hardheaded facts that cannot
be blinked and explain them as best be can.

 さて冒頭に述べて置きたいことは、その議論
より察する所、S・ディーダラス君(神学懐疑)
がはなはだ耽溺してゐると思はれます怪しげな
先験論は、一般に受容されてゐる科学的方法と
真向から対立する、といふことでございます。
このことは如何程繰返しても言過ぎるといふこ
とは無いのでありますが、科学とは知覚し得る
現象を扱ふものでございます。科学者は世上の
人士と同様、それに対し眼を閉すことの出来ぬ
厳然たる事実に直面し、出来る限り詳細に説明
せねばならないのでございます。(丸谷才一訳)



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J・ジョイスの『ユリシーズ』を楽しみながら読む 長谷部さかな 著
 Copyright (C) Sakana Hasebe